今年の春、初めて靖国神社へ行った。
東京には何度も行っている。
歴史にも興味がある。
祖父は戦争に行き、フィリピンで終戦を迎えた。
それなのに、なぜ今まで一度も行かなかったのだろう。
特別に避けていたわけではない。
行こうと思って行かなかったわけでもない。
ただ、縁がなかった。
実際に訪れてみると、そのことが不思議に思えるくらいだった。
思っていたより、静かな場所だった
靖国神社という名前には、どうしてもニュースの印象がついて回る。
政治家の参拝。
歴史認識。
戦争をめぐる議論。
私も長い間、そうしたニュースを通して靖国神社を見ていた。
けれど、実際に境内へ入ると、少なくとも私がその日に感じたのは、もっと静かな場所だった。
参拝する人がいる。
境内を歩く人がいる。
御朱印をいただく人がいる。
外国人の姿もある。
そして、思っていた以上に若い人がいた。
画面越しに知っていた靖国神社と、自分で歩いて見る靖国神社は、少し違っていた。
遊就館で目についた30代くらいの男性
境内にある遊就館にも入った。
戦争や近代史に関する資料、戦没者の遺品や手紙などが展示されている施設だ。
そこで気になったのが、一人で来ている男性の多さだった。
私と同じような50代ではない。
30代くらいに見える人が、一人で展示を見ている。
友人同士でにぎやかに見て回るわけでもない。
展示の前で止まり、文章を読み、また次へ進んでいく。
何を考えているのかは分からない。
歴史が好きなのかもしれない。
家族に何かつながりがあるのかもしれない。
ただ興味を持って来ただけかもしれない。
それでも、戦争を直接知らない若い世代が、一人でここへ来ている。
その光景は意外だった。
戦争の記憶は、高齢者だけのものではない
戦争の話というと、どうしても高齢者の話だと思いがちだ。
体験者から話を聞く。
昔の映像を見る。
8月になると特集を見る。
そして夏が終われば、普段の生活へ戻る。
けれど、遊就館にいた若い人たちを見ていると、必ずしもそうではないと思った。
戦争を経験していなくても、知ろうとすることはできる。
資料を見ることもできる。
その場所へ行くこともできる。
自分なりに考えることもできる。
何を感じるかまで、誰かに決めてもらう必要はない。
御朱印の美しさにも驚いた
私は御朱印を集めている。
最近は、本当に華やかな御朱印が増えた。
色鮮やかなもの。
切り絵になったもの。
季節限定のもの。
写真に撮りたくなる、いわゆる「映える御朱印」も多い。
靖国神社でいただいた通常の御朱印は、それとはまったく違った。
驚くほどシンプルだった。
楷書体で、すっと書かれた文字。
派手な装飾はない。
それなのに、圧倒的に美しい。
余白も含めて美しい。
写真にすると、むしろこういう御朱印の方が映えるのではないかと思った。
派手だから残るのではない。
整っているから目に残る。
そんな美しさだった。
行ってみなければ分からないことがある
靖国神社については、さまざまな考え方がある。
だからこそ、ニュースだけで分かったつもりにならず、一度自分で行ってみる意味があると思った。
遊就館の展示をどう受け止めるかも、人によって違うだろう。
それでいい。
自分の目で見て、自分で考える。
その途中で、分からないことがあれば調べる。
私自身、今回初めて行ったことで、これまでより靖国神社を近く感じるようになった。
賛成か反対かという単純な話ではない。
「ここに実際に来る人たちは、どんな思いを持っているのだろう」
そんなことを考えるようになった。
50歳になって初めて行った意味
なぜ今まで行かなかったのだろうと思う。
若い頃に行っていたら、たぶん今とは違う見方をしていた。
その頃の私は、祖父がフィリピンで終戦を迎えたことを、今ほど自分の家族の歴史として考えていなかった。
50歳になり、親の世代が老い、自分の子どもたちが大人に近づいてくる。
そうすると、自分がどこから来たのかを考えることが増える。
祖父母のこと。
親のこと。
自分の子どもたちへ何を残すのか。
今年の春に初めて靖国神社へ行ったのも、偶然だったのかもしれない。
けれど、今の年齢だったからこそ、目に入ったものがあったようにも思う。
縁がなかった場所が、少し身近になった
初めて訪れるまで、靖国神社は遠い場所だった。
それが、一度境内を歩き、遊就館を見て、御朱印をいただいただけで、少し身近になった。
特に残っているのは、30代くらいの男性たちが、一人で静かに展示を見ていた姿だ。
戦争を直接知る人は、これからさらに少なくなる。
でも、知ろうとする人までいなくなるわけではない。
歴史とのつながり方は、世代によって変わっていくのだと思う。
私も、50歳になって初めて靖国神社を訪れた。
なぜ今まで行かなかったのか不思議なくらい、今ではもう一度行ってみたい場所になっている。
歴史は、知識として覚えるだけでは少し遠い。
実際にその場所に立つことで、初めて自分との距離が分かることがある。
今年の春の靖国神社は、私にとってそんな場所だった。
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