フィリピンで終戦を迎えた祖父のこと

昭和と人生後半戦

8月15日になると、祖父のことを思い出す。

祖父は戦争に行き、フィリピンで終戦を迎えた。

私は戦争を知らない。

祖父から戦地での出来事を詳しく聞いた記憶も、ほとんどない。

それでも、8月15日という日は、教科書の中だけの出来事ではない。自分の家族の歴史にも、確かにつながっている日だと思う。

祖父は、戦争のことを多く語らなかった

子どもの頃の祖父は、私にとって普通の祖父だった。

一緒に食事をし、家族の中にいて、「戦争を経験した人」として特別に意識していたわけではない。

祖父がフィリピンにいたことも、後になって知った。

戦地で何を見たのか。

何を失ったのか。

どんな思いで終戦を迎えたのか。

そして、日本へ帰ってきたとき、何を考えていたのか。

今となっては、分からないことの方が多い。

もっと聞いておけばよかったと思う。

ただ、子どもの頃は、祖父がいつまでもそこにいるような気がしていた。

祖父にとっての8月15日

私たちは8月15日を終戦の日として知っている。

けれど、フィリピンにいた祖父にとって、その日はどんな日だったのだろう。

戦争が終わったという安堵だったのか。

本当に帰れるのかという不安だったのか。

一緒にいた仲間のことを思ったのか。

私には想像することしかできない。

同じ8月15日でも、どこで、どんな立場で迎えたかによって、その意味はまったく違ったはずだ。

祖父にも、祖父だけの8月15日があった。

祖父は毎年、護国神社へ行っていた

祖父には、8月15日になると必ず行く場所があった。

護国神社だ。

護国神社は、その地域にゆかりのある戦没者などを祀る神社である。

祖父は終戦記念日になると、毎年そこへ参拝していた。

子どもの頃の私は、その意味を深く考えたことがなかった。

なぜ毎年行くのか。

誰に手を合わせていたのか。

何を思い出していたのか。

きちんと聞いた記憶もない。

けれど今になって考えると、フィリピンで終戦を迎えた祖父にとって、護国神社へ行くことには、私たちには分からない重みがあったのだと思う。

帰ってきたから、今の家族がある

当たり前のことだけれど、祖父が日本へ帰ってこなければ、今の私はいない。

戦争が終わり、祖父は帰国し、その後の人生を生きた。

家庭を持ち、子どもが生まれ、孫が生まれた。

私は、その続きにいる。

普段の生活では、そんなことを意識することはほとんどない。

仕事があり、家族があり、毎日は目の前のことで過ぎていく。

けれど、家族の歴史を少しさかのぼれば、戦争はそれほど遠い出来事ではない。

祖父が実際に戦地へ行った。

その祖父を、私は知っている。

そう考えると、戦争は急に近くなる。

語らなかったことにも、意味があったのかもしれない

祖父からもっと戦争の話を聞いておけばよかった。

そう思うことはある。

けれど、今は、語らなかったことにも意味があったのかもしれないと思う。

思い出したくなかったのかもしれない。

家族には話したくなかったのかもしれない。

戦争の話をしないことで、戦後の生活を前へ進めたかったのかもしれない。

本当のところは分からない。

だから、知らない部分を勝手に埋めることはしたくない。

私が確かに知っているのは、祖父が戦争に行き、フィリピンで終戦を迎えたこと。

そして、毎年8月15日になると護国神社へ参拝していたことだ。

それだけでも、家族の記憶として残しておく意味はあると思う。

近いうちに、祖父の足跡をたどってみたい

近いうちに、祖父の墓参りに行こうと思う。

そして、祖父が毎年8月15日に通っていた護国神社にも、一度行ってみたい。

同じ日に行く必要はない。

ただ、祖父が手を合わせていた場所に、自分も立ってみたい。

祖父が何を思ってそこへ通っていたのか、もう本人に聞くことはできない。

それでも、その場所に行くことで、少しだけ想像できることがあるかもしれない。

戦争を知らない私にできるのは、分からないことを勝手に物語にすることではない。

残っている事実と記憶を、自分なりにつないでいくことだと思う。

祖父は戦争に行った。

フィリピンで終戦を迎えた。

日本へ帰ってきた。

そして、毎年8月15日には護国神社へ行っていた。

その先に、今の私たち家族がいる。

8月15日には、そのことを忘れないでいたい。

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50代の家族・仕事・お金について、もう少し個人的な実体験はnoteでも書いています。
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