20代の若手社員が入社してきました。
仕事を教えていると、ときどき驚くことがあります。
お酒の注ぎ方を知らない。
判子の押し方を知らない。
こちらにとっては、特別に教わった記憶もないことです。
いつの間にか覚えていました。
だから最初は、
「そこから教えるのか」
と思いました。
けれど、考えてみれば当然なのかもしれません。
若い世代には、それを覚える機会そのものが減っています。
酒の注ぎ方を知らない若手
以前、別の若手社員が、社長のグラスにお酒を注いだことがありました。
本人に悪気はありません。
むしろ、気を利かせようとしたのだと思います。
ただ、注ぎ方の作法を知りませんでした。
瓶の持ち方。
注ぐときの向き。
相手への渡し方。
私たちの世代なら、酒席の中で何となく覚えてきたことです。
若手社員は、それを知りませんでした。
その場は、大きな問題にはなりませんでした。
しかし、後日、社長から私が小言を言われました。
「きちんと教えておけ」
ということです。
注いだのは若手社員です。
けれど、注意を受けたのは、育てる側にいる私でした。
上の人ほど作法を気にする
若い世代から見れば、酒の注ぎ方など、それほど重要なことではないかもしれません。
今は、会社の飲み会も減りました。
お酒を飲まない人も増えました。
上司に酒を注ぐ文化そのものを、古いと感じる人もいるでしょう。
私も、形式だけを守ればいいとは思っていません。
ただ、現実の職場では、上の立場にいる人ほど、こうした作法を気にすることがあります。
本人は忘れていると思っていても、見ています。
酒の注ぎ方。
挨拶。
座る位置。
名刺の渡し方。
判子の押し方。
一つひとつは小さなことです。
けれど、その人にとっては、礼儀や育ち方を見る材料になります。
正しいかどうかとは別に、そういう評価軸が残っている職場はあります。
管理職としては、そこを無視することはできません。
若者が非常識なのではない
では、若手社員が非常識なのでしょうか。
私は、そうではないと思います。
知らないものは、できません。
若い頃から会社の宴会に参加し、先輩の動きを見ながら覚えてきた世代とは、環境が違います。
今の20代は、酒席そのものが少ない。
紙の書類も減っています。
電子申請や電子契約が増え、判子を押す機会も減りました。
自然に覚える場所が、なくなっているのです。
昭和の職場では、誰かが教えなくても身についたことがあります。
先輩の姿を見る。
失敗して叱られる。
何度も繰り返す。
そうして、暗黙の作法を覚えてきました。
令和の職場では、その暗黙知が自然には伝わりません。
常識が消えたのではありません。
常識を覚える場所が消えたのです。
判子の押し方も同じだった
判子の押し方を知らない若手もいました。
押す場所がずれる。
向きが違う。
力を入れすぎてにじむ。
訂正印の使い方も分からない。
私たちの世代からすると、簡単なことに見えます。
しかし、そもそも判子を使う機会が少なければ、できなくても不思議ではありません。
スマートフォンやパソコンの操作なら、若手の方が早い。
一方で、紙の書類や印鑑の扱いは、こちらの方が慣れています。
どちらが優れているという話ではありません。
生きてきた環境が違うのです。
それなのに、自分たちができることだけを基準にして、
「今の若者は常識がない」
と決めてしまうのは、少し乱暴です。
管理職は世代の通訳になる
今回の経験で感じたのは、管理職には世代の通訳のような役割があるということです。
上の世代は、
「それくらい知っていて当然」
と思っています。
若い世代は、
「なぜそこまで気にするのか分からない」
と感じています。
どちらかだけが間違っているわけではありません。
その間にいる人間が、両方の考え方を伝える必要があります。
若手には、
「これは絶対の正解ではない。ただ、気にする人もいる」
と伝える。
上の世代には、
「今の若者には、自然に覚える機会がありません」
と伝える。
どちらか一方に合わせるのではなく、両方が分かるようにする。
それが、今の管理職に求められている仕事の一つなのだと思います。
作法そのものより大切なこと
酒の注ぎ方も、判子の押し方も、将来なくなるかもしれません。
会社の宴会がさらに減れば、酒席の作法は必要なくなるでしょう。
電子契約が増えれば、判子を使う場面も少なくなります。
それでも、残るものがあります。
相手が何を大切にしているかを考えること。
知らない作法があれば確認すること。
場面に合わせて振る舞うこと。
失敗したら、次に生かすこと。
本当に教えるべきなのは、酒の注ぎ方そのものではないのかもしれません。
相手や場面を想像する力です。
形式は変わります。
けれど、相手への配慮はなくなりません。
昭和の常識を押しつけない
私たちの世代が気をつけなければならないこともあります。
自分たちが苦労して覚えたことを、若い人にも同じように求めてしまうことです。
昔は、叱られながら覚えた。
見て盗めと言われた。
失敗して恥をかいた。
だから、お前たちもそうしろ。
それでは、ただ昭和を繰り返すだけです。
今は、言葉にして伝えることができます。
なぜ必要なのか。
誰が気にするのか。
どんな場面で使うのか。
そこまで説明すれば、若手も納得しやすくなります。
暗黙の了解として押しつけるのではなく、背景まで伝える。
その方が、若い世代にも残ると思います。
若手が知らないことに驚く前に
若手社員がお酒の注ぎ方を知らなかった。
判子の押し方を知らなかった。
最初は、少し驚きました。
けれど、それは若者の問題だけではありません。
教える側が、
「当然知っているはずだ」
と思い込んでいたことにも原因があります。
上の人ほど、作法を気にします。
その現実は、今もあります。
だから、若手に教える必要はあります。
ただし、
「常識だから覚えろ」
ではなく、
「こういうことを気にする人もいるから、知っておくと困らない」
と伝える方がいい。
昭和の作法を守らせることが目的ではありません。
違う世代の価値観を理解し、場面に合わせて動ける人を育てることが目的です。
若者が常識を知らないのではありません。
私たちが、常識を言葉にして渡す必要がある時代になったのだと思います。
この記事が印象に残ったら、♡を押していただけるとうれしいです。

コメント