エアコンが壊れたロードスターで考えたこと
マツダのNDロードスターに乗っている。
気がつけば10年になる。
最近、エアコンが壊れた。
修理代がいくらになるのか、まだ分からない。
できれば安く済んでほしい。
そんなことを考えながら運転していた。
その日は暑かった。
けれど、ふと思い立ってオープンにしてみた。
普段はほとんど開けない。
せっかくのオープンカーなのに、年に数回程度だ。
ところが意外だった。
外の空気の方が涼しい。
風が抜ける。
空が見える。
修理代を心配しているはずなのに、少しだけ気分が軽くなった。
気がつけば10年だった
このロードスターは、あまり深く考えずに買った。
家族の反対もなかった。
勢いで買ったと言った方が正しいのかもしれない。
それでも気がつけば10年。
人生で一番長く乗った車になった。
若い頃は、車は乗り換えるものだった。
次は何に乗ろうか。
雑誌を眺めながら考える時間も楽しかった。
ところが今は違う。
気に入ったものを、できるだけ長く使いたいと思うようになった。
車も、その一つである。
とはいえ、エアコンが壊れると少し考える。
修理するのか。
買い替えるのか。
それとも、このまま乗り続けるのか。
私はまだ、このロードスターに乗るつもりでいる。
だから売却を考えているわけではない。
ただ、「今ならどれくらいの価値があるのだろう」と思うことはある。
以前は、一括査定というと何社からも電話がかかってくる印象があって敬遠していた。
最近は、やり取りする会社を絞れるサービスもあるようだ。
車を売るためではなく、自分の愛車の価値を知るために、一度査定してみるのも悪くないのかもしれない。
息子にも運転してほしい
最近、息子が自動車学校に通っている。
免許を取ったら、一度ロードスターを運転させてみたいと思っている。
もちろん隣には乗る。
少し心配でもある。
それでも、自分で運転する楽しさを知ってほしい。
オープンカーだからではない。
自分の意思で行きたい場所へ行く。
好きな音楽を流しながら走る。
その自由な感覚を味わってほしいのだ。
車の話をする相手が減った
会社の若い社員と話していても、車の話になることはほとんどない。
興味がない。
車は移動手段。
それ以上でも、それ以下でもない。
もちろん、それが悪いわけではない。
時代が違うのだと思う。
スマートフォンがある。
動画もある。
ゲームもある。
私たちの頃とは、楽しみ方そのものが違う。
だから車の話になるのは、同世代か先輩だ。
スカイライン。
フェアレディZ。
シルビア。
セリカ。
スープラ。
シビック。
RX-7。
ランサーエボリューション。
車名が出てくるたびに、その頃の景色まで思い出す。
深夜のコンビニ。
友人との待ち合わせ。
洗車したばかりの駐車場。
初めて高速道路を走った日。
誰がどの車に乗っていたか。
どんな改造をしたか。
どこへ走りに行ったか。
話し始めると止まらない。
けれど思い返しているのは、車そのものではない。
あの車に乗っていた頃の自分なのだと思う。
失われるのは物だけではない
50代になると気づくことがある。
物には寿命がある。
車もそうだ。
家電もそうだ。
そして人も年齢を重ねる。
けれど、本当に失われていくのは物だけではない。
当たり前だった文化や価値観も、少しずつ姿を変えていく。
車好きが集まれば自然に始まった会話も、今では懐かしい話題になりつつある。
少し寂しい。
けれど、それも時代が進んでいる証なのだろう。
【まとめ】
エアコンが壊れたロードスターを運転しながら、そんなことを考えていた。
この車をあと何年乗るのだろう。
そして、自分はあと何年、こうして車の話をしているのだろう。
昭和に憧れた車たち。
平成を駆け抜けた車たち。
そして令和のロードスター。
車は変わる。
時代も変わる。
けれど、好きだったものの記憶は意外と消えない。
だから私は、こうした記憶をブログという場所に書き残しておきたい。
それは車の記録ではない。
あの時代を夢中で生きた、自分自身の記録なのだと思う。
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