アジサイを見に行く年齢になった

昭和と人生後半戦

先日、長谷寺へ行ってきました。

目的はアジサイです。

自分で書いていて、少し不思議な気持ちになります。

若い頃の私は、わざわざアジサイを見に行こうと思ったことがありませんでした。

花に興味がなかったわけではありません。

ただ、休日を使ってまで見に行こうとは思わなかったのです。


ところが最近は違います。

アジサイの見頃を調べます。

寺や神社へ出かけます。

数年前からは御朱印も集めるようになりました。

若い頃の自分が見たら、少し驚くかもしれません。


長谷寺では、一番遠い駐車場に車を停めました。

本堂の近くにも停められたのですが、少し歩こうと思ったのです。

入口まで15分ほど。

以前なら面倒だと思っていた距離かもしれません。


若い頃の私は、目的地に早く着くことばかり考えていました。

移動はただの移動でした。

できるだけ近くに停めたい。

できるだけ早く着きたい。

それが当たり前でした。


けれど今は少し違います。

歩いている時間も悪くないと思うようになりました。

道端の景色を眺める。

風を感じる。

そんなことに目が向くようになりました。


長谷寺の回廊を上っていると、途中で息が上がりました。

若い頃なら何とも思わなかったはずです。

体力の変化を感じます。

少し悔しい気持ちもあります。


だから立ち止まります。

息を整えます。

そして、目の前のアジサイを眺めます。


考えてみると、若い頃の休日は何かを手に入れるための時間でした。

遊び。

買い物。

経験。

資格。

仕事につながる何か。

いつも前へ進むことばかり考えていた気がします。


今は少し違います。

季節を感じること。

歴史に触れること。

歩くこと。

静かな時間を過ごすこと。

そんなことに価値を感じるようになりました。


それが年齢なのかどうかは分かりません。

ただ一つ言えるのは、若い頃には見向きもしなかったアジサイを見に来ているということです。


回廊の途中で息を整えながら眺めたアジサイは、若い頃の私なら通り過ぎていた景色でした。

変わったのはアジサイではありません。

たぶん、自分の方なのだと思います。

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