先日、職場で少し驚いたことがありました。
「なるはやでお願いします」
そう伝えたところ、若い社員が少し首をかしげたのです。
意味は伝わったようでしたが、普段はあまり使わない言葉らしい。
私にとっては、ごく当たり前の言葉でした。
「なるべく早く」
長年、職場で普通に飛び交っていた言葉です。
考えてみれば不思議な言葉です。
正式な日本語ではありません。
辞書に載っているわけでもありません。
それでも、多くの人が意味を共有しながら使っていました。
「なるはや」だけではありません。
一丁目一番地。
ざっくばらん。
いってこい。
ガッチャンコ。
テレコ。
巻きで。
1970年代生まれなら、一度は耳にしたことがある言葉ではないでしょうか。
ところが最近は、少しずつ聞かなくなりました。
若い世代との会話の中で、「それはどういう意味ですか?」と聞かれることもあります。
言葉にも世代がある。
そんな当たり前のことに、50代になって気づかされます。
考えてみると、私たち1970年代生まれは、変化の真ん中を生きてきた世代です。
子どもの頃、家には黒電話がありました。
友人との待ち合わせは、時間と場所を決めるだけでした。
連絡が取れないことは普通のことでした。
調べものは図書館や本屋です。
分からないことがあっても、その場で答えは出ませんでした。
ところが社会に出る頃には、パソコンが広がり始めます。
インターネットが普及し、携帯電話が当たり前になりました。
メールが日常になり、スマートフォンが生活を変えました。
そして今はAIです。
黒電話からAIまで。
一つの人生の中で、これほど大きな変化を経験した世代は、それほど多くありません。
だから私は、「なるはや」が通じなくなったことを残念だとは思いません。
時代が変われば言葉も変わります。
道具も変わります。
働き方も変わります。
変わらない方が不自然なのかもしれません。
むしろ大切なのは、その言葉の奥にあった感覚ではないでしょうか。
完璧を待つより、まず動いてみる。
新しいものを試してみる。
環境が変われば、自分も変わる。
私たちは、そんな変化を何度も経験してきました。
最近はAIについて話す機会も増えました。
便利だと思う一方で、戸惑うこともあります。
けれど振り返れば、これまでも同じようなことの繰り返しでした。
インターネットが出てきた時もそうでした。
スマートフォンが広がった時もそうでした。
最初は戸惑いながらも、気づけば使いこなしていた。
1970年代生まれの強みは、知識の量ではなく、変化への適応力なのかもしれません。
ちなみに私は今でも「なるはや」を使います。
昭和の言葉を守りたいわけではありません。
ただ、その言葉の奥にある「まずやってみよう」という感覚は好きです。
このブログの名前を「なるはや」にしたのも、そんな理由からです。
人生後半戦に入った今も、新しいことに挑戦し続けたい。
そんな気持ちだけは、なるべく長く持ち続けたいと思っています。


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