「また今度」と言っているうちに人生は終わる|50代になって考える、挑戦しなかった後悔

昭和と人生後半戦

「また今度にしよう」

この言葉には、次の機会があるという意味があります。

今日はやめておく。
今は忙しい。
もう少し落ち着いてから。

若い頃は、それでもよかった気がします。

時間はまだたくさんあると思っていました。

でも50代になると、少し考え方が変わります。

人生には、本当に「また今度」があるのだろうか。

死ぬときに、何を一番後悔するだろう

もし自分が人生の最後を迎えるとき、

「もっと働けばよかった」

と思うだろうか。

「もっと会社に尽くせばよかった」

と思うだろうか。

たぶん私は、そうではない気がします。

おそらく一番後悔するのは、

やってみたかったことに挑戦しなかったこと

ではないかと思っています。

あのときやっておけばよかった。

行っておけばよかった。

始めておけばよかった。

そういう後悔は、あとから取り戻せないことがあります。

だからといって、好き勝手にできるわけでもない

では、今すぐ全部やればいいのか。

もちろん、そんな単純な話でもありません。

住宅ローンがあります。

子どもの教育費があります。

親の介護もあります。

家族がいる以上、自分のやりたいことだけを優先するわけにはいきません。

「家族のために我慢している」

と言いたいわけでもありません。

むしろ、家族に迷惑をかけてまで何かを始めるのは違うと思っています。

ここは50代の難しいところです。

挑戦したい気持ちはある。

でも、まだ背負っているものもある。

言い訳にはしたくない

住宅ローンがあるから。

教育費がかかるから。

介護があるから。

どれも本当のことです。

でも、それをずっと

「できない理由」

にしてしまうのも違う気がしています。

今すぐ大きく動けないなら、準備はできる。

少しずつお金を貯める。

会社の外でも通用するものを作る。

AIを使ってみる。

ブログを書く。

小さく商売を試してみる。

今できることはあります。

挑戦というと、会社を辞めたり、起業したりするような大きなことを考えがちです。

でも本当は、

挑戦できる状態を作っておくことも、挑戦の一部

なのかもしれません。

負担が軽くなったとき、動ける自分でいたい

これから先、住宅ローンもいつか終わります。

子どもたちも少しずつ独立していきます。

親の介護も、形を変えていきます。

今より負担が軽くなる時期は、たぶん来ます。

そのときに、

「さて、何をしよう」

とゼロから考えるのではなく、

「ずっと準備してきたことを、そろそろ始めよう」

と言える自分でいたい。

それが今の私の理想です。

「また今度」を減らしていく

何でも急ぐつもりはありません。

無理をして家族に迷惑をかけるつもりもありません。

でも、

「また今度」

と言い続けているうちに、人生そのものが終わってしまうのは嫌です。

死ぬときに、

「あれもやってみたかったな」

と後悔するより、

「いろいろやったな」

と思いたい。

だから今は、まだ動けないことがあってもいい。

ただし、動ける日が来たときのために準備はしておく。

50代になって、そんな生き方をしたいと思うようになりました。

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