子どもの頃、わが家のお風呂は薪で沸かしていました。
五右衛門風呂ではありません。浴槽は普通のお風呂です。ただ、お湯を沸かすために薪を使っていたのです。
そして、私には祖父と一緒に薪を割った記憶があります。
何十年も前のことですから、細かなことまでは覚えていません。
それでも、祖父と薪を割ったという記憶だけは、不思議と残っています。
今になって思うのです。
あの頃のわが家は貧しかったのだろうか。それとも、戦争を経験した祖父が、ものを大切にしていたのだろうか。
子どもの頃には分からなかった祖父の人生
祖父は戦争から帰ってきた人でした。
子どもの頃の私にとって、祖父はただの祖父でした。
戦争を経験した人だということは知っていても、それがどれほど大きな意味を持つのか、理解できるはずもありません。
戦争に行き、生きて帰ってきた。
その短い言葉の裏には、私には想像もできない経験があったはずです。
何を見て、何を失い、何を思いながら戦後を生きてきたのか。
私は祖父の人生を、どれほど知っていたのでしょう。
今振り返ると、ほとんど何も知らなかったような気がします。
祖父と薪を割った日々
祖父と薪を割った記憶があります。
当時の私には、それが何か特別な経験だという意識はありませんでした。
お風呂を沸かすために薪が必要で、その薪を割る。
ただ、それだけのことです。
子どもにとって、家の中の暮らしは当たり前のものです。
ほかの家ではガスや灯油でお風呂を沸かしていたとしても、そんなことを気にした記憶はありません。
けれど、大人になった今、あの光景を思い出すと、少し違った気持ちになります。
祖父は、どんな思いで薪を割っていたのだろう。
戦争を経験し、戦後を生き抜いてきた祖父にとって、薪を割ることはどんな意味を持っていたのだろう。
もちろん、特別な意味などなかったのかもしれません。
ただ、毎日の暮らしに必要だから、当たり前のように続けていただけなのかもしれません。
それでも、私にはその姿が、今になって大切なものに思えるのです。
貧しかったのか、ものを大切にしていたのか
昭和50年代には、すでにガスや灯油の給湯設備が普及していました。
それでも、わが家では薪を使っていました。
経済的な理由だったのでしょうか。
それとも、まだ使える設備をわざわざ取り替える必要はないと考えていたのでしょうか。
祖父にとって、ものを大切にすることは、生活の中に染みついた習慣だったのかもしれません。
戦争を経験した世代は、ものが不足する時代を知っています。
だからこそ、使えるものを使い続けることに、今の私たちとは違う感覚があったのではないでしょうか。
ただ、これは私の想像です。
祖父が何を考えていたのか、本当のところは分かりません。
そして、今となっては、その答えを聞くこともできません。
もっと祖父の話を聞いておけばよかった
子どもの頃、祖父が戦争を経験したという事実を、深く考えたことはありませんでした。
祖父がどんな少年時代を過ごし、どんな思いで戦地へ向かい、どんな気持ちで帰ってきたのか。
もっと聞いておけばよかったと思います。
しかし、子どもの頃には、そんなことを考えもしません。
祖父がそばにいることが当たり前で、いつでも話を聞けるような気がしていたのでしょう。
人は、大切な人がいなくなってから、その人の人生を知りたくなるものなのかもしれません。
祖父の人生について、私が知らないことはたくさんあります。
けれど、祖父と薪を割ったという小さな記憶は、今も残っています。
戦争の話を聞いた記憶よりも、そんな日常の一場面の方が、かえって鮮明に心に残ることがあるのです。
昭和の暮らしが教えてくれること
今では、給湯器のボタン一つでお風呂が沸きます。
温度も湯量も設定でき、自動で保温までしてくれます。
本当に便利な時代になりました。
私自身、薪でお風呂を沸かす生活に戻りたいとは思いません。
けれど、便利になったことと、豊かになったことは、必ずしも同じではないような気もします。
祖父と薪を割ったあの時間。
当時の私には、何でもない日常でした。
しかし、今の私には、お金では買えない思い出です。
祖父は、戦争を生き抜いて帰ってきました。
そして戦後を生き、家族と暮らし、私の知っている祖父になりました。
戦争を経験した祖父の人生と、平和な時代に育った私の人生が、薪割りという何でもない日常の中で重なっていた。
そう考えると、あの記憶が少し違って見えてきます。
祖父が何を思っていたのかは、最後まで分からないままです。
それでも、祖父と過ごした時間が、私の中に確かに残っている。
それだけは間違いありません。
昭和の冬を思い出すたびに、薪で沸かしたお風呂と、祖父のことを思い出します。
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