男性が育児休業を取る。
子どもと夕食を食べる。
一緒にお風呂に入る。
今では、父親が育児に関わることは当たり前になりつつあります。
頭では、それがよい変化だと分かっています。
けれど、心のどこかで、すぐには受け入れられない自分もいます。
私は就職氷河期世代です。
会社に入れたら辞めない。
与えられた仕事をこなす。
出世して、少しでも多く稼ぐ。
それが家族を守る父親の役割だと思ってきました。
子どもと夕食を食べたいから辞める
管理職になって間もない頃、部下が退職しました。
子どもが生まれたばかりでした。
理由を聞くと、
「子どもと一緒に夕食を食べて、お風呂に入りたい」
と言いました。
当時の私は、素直に理解できませんでした。
そんな時間に毎日帰れるサラリーマンが、どれほどいるのだろう。
家族を養うために働くのだから、帰りが遅くなるのは仕方がない。
本気でそう思っていました。
私たちの世代には、働き方を選び直す余裕があまりありませんでした。
仕事を失わないこと。
収入を増やすこと。
家族に不自由をさせないこと。
それが父親としての責任でした。
制度があっても、仕事は消えない
今は、国も会社も男性の育児休業を後押ししています。
それは必要なことだと思います。
ただ、誰かが休んでも、仕事そのものが消えるわけではありません。
残った社員が引き受けることもあります。
独身の社員にも生活があります。
子どものいない社員にも、大切にしたい時間があります。
制度を使う人を責めるのは違う。
けれど、残る人の負担を見ないふりをするのも違う。
人を補充する。
仕事を減らす。
誰かが休むことを前提に組織を作る。
そこまでしなければ、育児を支える制度が、別の誰かの我慢で成り立つことになります。
頭では分かっています。
それでも現場を預かる管理職として、簡単に割り切れない自分がいます。
だめな管理職なのかもしれません。
辞めた部下に、ばったり会った
それから何年かたち、街でその部下にばったり会いました。
今の仕事や職場について聞くと、以前より年収はかなり低いようでした。
仕事内容を聞けば、将来はAIや自動化に置き換わる可能性もあるのではないか。
私は、ついそんなことを考えました。
もっと収入の高い仕事の方がよかったのではないか。
将来は大丈夫なのか。
長く会社員をしてきた私の中では、すぐに年収や安定という物差しが動き始めます。
けれど、彼の隣には娘さんがいました。
彼は、その小さな手を握って歩いていました。
その姿を見たとき、退職するときの言葉を思い出しました。
子どもと一緒に夕食を食べたい。
お風呂に入りたい。
彼が欲しかったのは、まさにその時間だったのです。
彼は、何かを失っただけではなかった
私は当時、彼は仕事や収入を捨てたのだと思っていました。
出世の可能性も、安定も手放した。
そう見えていました。
けれど、娘さんと手をつなぐ姿を見て、少し考えが変わりました。
彼は何かを失っただけではありません。
自分が大切にしたかった暮らしを選んだのです。
もちろん、お金は必要です。
収入が低ければ、将来への不安もあるでしょう。
家族との時間さえあれば幸せだと、簡単に言うつもりはありません。
ただ、年収が高いことだけが、家族を幸せにするわけでもありません。
一緒に夕食を食べる。
子どもの話を聞く。
手をつないで歩く。
子どもが小さい時間は、後から買い戻すことができません。
私は、まだ昭和のままいる
出世して、多く稼ぎ、家族を幸せにする。
私は、その価値観で長く働いてきました。
それをすべて間違いだったとは思いません。
就職氷河期を生き、家族を養うために働いてきた時間があるからです。
それでも、幸せの形は一つではありません。
頭では分かっていたつもりでした。
けれど、娘さんの手を握る彼を見て、初めて少し実感できた気がします。
私は今も、若い世代の選択を年収や将来性で測ろうとします。
家族との時間を優先したいと言われれば、現場の負担を先に考えます。
昭和の父親像から、まだ抜けきれていません。
それでも、自分の物差しだけで、他人の幸せを決めてはいけない。
あの日の彼の姿が、そう教えてくれました。
彼の選択が正しかったかどうかは分かりません。
ただ、娘さんと手をつないで歩く彼は、少なくとも不幸には見えませんでした。
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