父は、自宅に併設した接骨院を開業していた。
私が小学一年生の頃からだ。
学校から帰ると、家には患者さんがいた。
父が白衣姿で働いている。
待合室から話し声が聞こえる。
それが、わが家の日常だった。
けれど父から一度も、
「接骨院を継げ」
と言われたことはない。
そっと置かれていたパンフレット
高校三年生になり、大学受験を考えていた頃だった。
ある日、接骨院の専門学校のパンフレットと過去問が、そっと置かれていた。
父から説明はなかった。
勧める言葉もなかった。
ただ、そこに置いてあった。
私はそれを無視して、大学へ進学した。
父の仕事を継ぐ道は選ばなかった。
父は何も言わなかった
パンフレットを見なかったことにしても、父は何も言わなかった。
「やはり接骨院を継げ」
とも言わなかった。
大学へ進むことにも反対しなかった。
当時の私は、それを特別なことだとは思っていなかった。
自分の進路は自分で決める。
ただ、それだけだった。
けれど今になって考える。
父は、どんな気持ちであのパンフレットを置いたのだろう。
継いでほしかったのか
接骨院は、父が自分で始めた仕事だった。
自宅に施術室を作り、患者さんを迎え、長く続けてきた。
自分が築いたものを、息子に残したい気持ちはあったのかもしれない。
一方で、接骨院を続ける大変さも、父はよく分かっていたはずだ。
だから、強く勧めなかったのかもしれない。
継いでほしい。
でも、息子の人生を決めたくはない。
あのパンフレットには、父の迷いも一緒に置かれていたのだろうか。
今となっては、確かめることはできない。
継がなかったことを後悔してはいない
私は父の仕事を継がなかった。
別の仕事を選び、長く会社員として働いてきた。
その選択を後悔しているわけではない。
接骨院を継いでいたら、別の人生になっていた。
うまくいったかもしれない。
続かなかったかもしれない。
今さら考えても答えは出ない。
ただ、父が残した仕事を、誰にも渡さないまま終わらせたことへの小さな引っかかりは残っている。
家業を継がないということは、自分の人生を選ぶことでもある。
同時に、親が積み上げたものを終わらせることでもある。
言わなかった言葉
父は、最後まで何も言わなかった。
だからこそ、あのパンフレットのことだけを覚えている。
「継いでほしい」と言われていたら、反発したかもしれない。
強く勧められていたら、もっと早く忘れていたかもしれない。
何も言わずに、そっと置かれていた。
その曖昧さが、今も残っている。
私は接骨院を継がなかった。
父も、それを受け入れた。
それでよかったのだと思う。
ただ、ときどき思い出す。
高校三年生の頃に置かれていた、専門学校のパンフレットと過去問を。
あれが、父から私に向けた、最初で最後の誘いだったのかもしれない。
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