なぜ50代は、遅れて見つかる人に惹かれるのか

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先日、尼崎競艇場まで足を運んだ。

目的は、GⅠ尼崎センプルカップのイメージキャラクターを務める福留光帆さんを見るためだ。

今回で3回目の起用。

実は1回目のときも会場に来ている。

自分でも少し不思議に思う。

なぜわざわざ尼崎まで行くのだろうか。


福留光帆さんは、もともとAKB48のメンバーだった。

ただ、当時から大きく注目されていたわけではない。

ところが今は違う。

大喜利ができる。

頭の回転が速い。

少し口が悪い。

そして何より、ボートレースが本当に好きなのだということが伝わってくる。

その組み合わせが、ボートレース場という場所で一気に花開いた。


会場を見渡すと、男性客が多かった。

それも若者というより、私と同世代か少し上の世代が目立つ。

女性の姿もあったが、男性に付き添って来ているように見える人が多かった。

おじさん人気が高い。

それは会場の空気を見ればすぐに分かった。


けれど、ただ若い女性タレントを見に来ているだけではない気がした。

少なくとも私は、そこだけに惹かれているわけではない。

惹かれているのは、遅れて見つかった人の物語だ。


アイドルとしては目立たなかったかもしれない。

けれど、話す力、切り返す力、ボートレースへの愛情、少し毒のある言葉。

もともと持っていた力が、別の場所で価値を持った。

同じ人でも、場所が変わると見え方は大きく変わる。


これは仕事でも人生でも同じなのだと思う。

若い頃は、評価されないことを能力不足だと考えがちだ。

努力が足りないのではないか。

才能がないのではないか。

そんなふうに考えてしまう。

けれど50代になると、少し違う景色が見えてくる。


能力そのものよりも、どこで使うか。

誰に届くか。

どの文脈で見つかるか。

そちらの方が大切なこともある。

ある場所では評価されなかった力が、別の場所では武器になる。

そんな場面を何度も見てきた。


1970年代生まれの私たちは、人生後半戦に入っている。

若さで勝負する時期ではなくなった。

けれど、それは終わりを意味しない。

これまで積み重ねてきた経験や癖や得意なことが、別の場所で生きる可能性はまだある。

むしろ、若い頃には気づかなかった自分の強みが、これから見つかることもあるのかもしれない。


福留光帆さんを見に尼崎まで行った日。

私はボートレース場で、少し不思議な希望を感じていた。

人は、一度評価されなかった場所で終わるわけではない。

強みが見つかる場所に移れば、物語はまた動き出す。

人生後半戦は、新しい才能を探す時期ではなく、自分の強みが生きる場所を探す時期なのかもしれない。

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