高校生の三男と、将来について話をした。
本人は、なんとなく大学へ進学するつもりらしい。
入試は、総合型選抜で行きたいという。
私は、受験勉強には意味があると思ってきた。
知識を積み重ねる。
苦手なことにも向き合う。
本番に向けて準備し、結果を受け止める。
だから、学力試験を受けずに進学する総合型選抜には、今も少し違和感がある。
ただ、それも古い感覚なのかもしれない。
大学の入り方だけでなく、大学へ行く意味そのものが変わり始めている。
大学を出れば安心とは言えない
私たちの頃は、大学へ進学して会社に入れば、ある程度の将来が見えた。
正社員として働き、経験を積み、年齢とともに給料が上がっていく。
少なくとも、そんな道が普通だと思われていた。
今の高校生に、同じことは言えない。
大学を出たからといって、安定した仕事に就けるとは限らない。
特に、机の上で行う仕事は、AIによって大きく変わっていくだろう。
文章を作る。
資料をまとめる。
数字を整理する。
情報を集める。
これまで人が時間をかけて覚えてきた仕事を、AIは短時間で処理するようになった。
ホワイトカラーの仕事が、すべてなくなるとは思わない。
それでも、大学を出て会社へ入れば安心という時代では、もうないのだと思う。
なくなりにくい仕事から考える
私は息子に、
「これからも人が必要とされる仕事を考えた方がいい」
と話した。
人と直接向き合う仕事。
現場で手を動かす仕事。
専門的な資格や技術を必要とする仕事。
最後に人が判断し、責任を負う仕事。
AIが広がっても、簡単にはなくならない仕事はある。
その仕事に就くために大学が必要なら、大学へ行けばいい。
大学で何を学ぶかも、その先の仕事から考えた方がよい。
大学名だけで選ぶのではなく、卒業後から逆算して進路を決める。
親としては、そんな助言をしたくなる。
自分は何も考えていなかった
もっともらしいことを言いながら、途中で少し恥ずかしくなった。
自分は高校生の頃、そこまで将来を考えていただろうか。
大学で何を学びたいのか。
どんな仕事に就きたいのか。
社会がこれからどう変わるのか。
ほとんど考えていなかった。
大学へ入ってからも、将来の準備をしていたとは言い難い。
パチンコや麻雀に明け暮れていた。
そんな自分が息子には、
「将来から逆算して大学を選べ」
と言っている。
親というものは勝手だ。
自分が考えなかったからこそ、子どもには考えてほしいと思う。
自分が遠回りしたから、できれば近道を教えたいと思う。
けれど、親が考えた近道が、子どもにとっても正しいとは限らない。
総合型選抜への違和感
総合型選抜で早く進路を決めたいという息子に、私は簡単には賛成できない。
受験勉強から逃げているだけではないのか。
楽な道を選ぼうとしているのではないか。
そんな見方をしてしまう。
ただ、総合型選抜も、何もせずに入れる試験ではない。
高校生活で何をしてきたのか。
なぜ、その大学で学びたいのか。
将来どうなりたいのか。
自分の考えを言葉にする必要がある。
問題は、一般入試か総合型選抜かではないのかもしれない。
何も考えずに進学することが問題なのだ。
学力試験を受けても、目的がなければ大学で迷う。
総合型選抜でも、自分なりの理由を持っているなら意味はある。
高校生に答えを求めすぎない
とはいえ、高校生に将来の仕事を決めろというのも難しい。
世の中はこれからも変わる。
今ある仕事がなくなり、今は存在しない仕事が生まれるかもしれない。
私自身、高校生の頃に今の人生を想像していたわけではない。
だから息子に求めるのは、完璧な将来設計ではない。
ただ、なんとなく大学へ行く前に、一度は考えてほしい。
何のために大学へ行くのか。
そこで何を学びたいのか。
卒業した後、どんな働き方をしたいのか。
答えは途中で変わってもいい。
考えた結果、総合型選抜を選ぶのなら、それも一つの選択だろう。
偉そうに話しながら、自分の高校時代を思い出した。
少なくとも息子は、自分が高校生だった頃より、将来について話そうとしている。
まずは、その話を聞くところから始めればいいのかもしれない。
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